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2026/05/12
生き物を漢字で書く 14
石決明で「あわび」と読みます。

一般的に「あわび」は 鮑 と言う漢字が一般的で、貝殻の形が楕円形で、殻が身をすっぽりと包んでいる事からこの漢字が当てられました。

石決明で「せっけつめい」と読むことも出来、その場合は 鮑の殻を乾燥させた生薬 を意味します。
 
 
鮑などの貝類の殻の大半を構成する炭酸カルシウムは、煎じれば、熱冷ましの効果や肝臓の病を軽減する効果、そして特に、眼病によく効くとされており、

 石 石のように固い殻
 決 視界が開く様を「決」で表現される
 明 視界が開けてよく見える


鮑の殻を使用した生薬で「石決明」が呼ばれていましたが、次第に混合し、鮑全体を「石決明」とも呼ばれるようになりました。
 
 
殻サイドにも豊富な炭酸カルシウムが含まれていますが、可食部サイドにも色々な成分が含まれており、疲労回復や眼精疲労に効果の高いタウリン。肌や血管の老化を防ぐコラーゲン。骨の生成を補助する亜鉛やマグネシウムが豊富に含まれています。
 
 
しかし、鮑で面倒くさいのが「鮑は熱を加えた方が美味しい派」と「鮑は生で食べる方が美味しい派」に分かれることで、個人的には後者なのですが…

後者には後者で「生で食べる場合は水貝のように賽の目に切る方が美味しい派」と「生で食べるには刺身のように薄く切った方が美味しい派」に分かれ、ここでも個人的には後者なのですが…

続く後者は後者で「刺身の鮑に山葵醤油が美味しい派」と「刺身の鮑にレモンをかけるだけが美味しい派」に分かれるので、色々と面倒くさい貝だとは思いますが、貝の中では一番好きです。
 
 

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2026/05/11
生き物を漢字で書く 13-4
江戸時代には、ホトトギスは便所の神様や守り神として扱われていたとも言われています。

江戸時代の妖怪画を多く残した絵師の鳥山石燕は著書『今昔画図続百鬼』の がんばり入道 のページに、こう残しています。

大晦日の夜 厠にゆきて がんばり入道 郭公 と唱ふれば 妖怪を見ざるよし 世俗のしる所也 もろこしにては厠神の名を郭登といへり これ遊天飛騎大殺将軍とて 人に禍福をあたふと云 郭登郭公同日の談なるべし 

要約すると… 大晦日の夜に トイレで 「 がんばり入道 ホトトギス 」と唱えると 妖怪 がんばり入道を見ることが無くなると 世間では皆が知っている。 中国では トイレの神様を 郭登と言う 遊天飛騎大殺将軍とも言われ 人に不運と幸福をもたらす神様と言われている。 この郭登と、ホトトギスの郭公は同列のものと見なされる 『今昔画図続百鬼』


また、1802年に出版された十返舎一九の『列国会談聞書帖』にも、がんばり入道の記載があります。

奈良県で、性欲が異常だった男が親族から諫められ、剃髪した上で山に小屋を建てて、山に籠っていた。男は白目を剥いて女性を見るので《 眼張り入道 》と呼ばれた。ある時、入道の留守中に小屋に忍び込んだ泥棒が、小屋に閉じ込められていた女性を発見し、助けようとしたところ、入道が小屋に戻ってきたため、泥棒は入道を殺し、助けられた女性は親元に帰った。しかし、入道の霊が女性の実家に現れ、女性は親戚の家に避難したが、女性が親戚宅に避難してからも、女性の実家には入道の霊が現れ、更には女性の実家だけでなく、他人の家や屋外のトイレなどを見て回った。しかしある晩、入道の霊は犬の噛み殺され、朝になると白い着物を着た狐の死体が転がっていた…とされています。


上記以外の、がんばり入道に関する話でも《トイレを覗く描写》がメインで語られます。

これは江戸時代、一部の上級階級を除くと、一般市民は長屋に住んでおり、長屋の各部屋にトイレがある訳も無く、公衆トイレが活用されていました。そのため、覗かれてしまう恐怖。屋外なので夜は真っ暗だったことによる恐怖…などが具現化した妖怪と推測されます。
 
 

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2026/05/08
生き物を漢字で書く 13-3
ホトトギスの漢字名で、ほぼ使用されないものに「布谷」もあります。

布谷」は「布穀」を簡略化したもので、これもホトトギスの鳴き声が「不如帰」と聞こえることから、創作された故事に由来します。
 
 
ある女性には2人の息子があり、兄は別の女性の子供で継子、弟は女性の実の子供でした。

女性は兄を家から追い出すため、兄弟に胡麻の種を渡し、この種を土に蒔き、芽が出てくるまで帰ってきてはいけないと条件を出し、兄弟を家から出しました。

兄弟はそれぞれ別の袋の胡麻の種を持ち、山の中の畑に向かいますが、畑に向かう道の途中で、弟は兄の持っていた袋からだけ良い匂いがするため、交換してほしいと言い、優しい兄はそれに応じます。

その後、2人は種を蒔き、少しすると、兄の種からは芽が出ました。しかし、弟の種からは一向に芽が出ませんでした。

なぜなら女性は兄に、火を通した胡麻の種を渡していたためです。

最終的に弟の希望で、兄弟は交換したため、弟のものになった火の通った種は当然、芽が出ることはなく、弟は命を落としてしまいます。

その後、兄が帰宅し、事の顛末を知った女性は自ら命を絶ってしまいました。女性の魂はホトトギスの転生し、子供の帰りを待つかのように「不如帰」と鳴いたそうです。

ちなみに布谷や布穀は、種まきを意味する言葉で、農民たちがホトトギスの鳴き声を聞き始める時期に、種まきを始める習慣に因んで、上記の故事は作られました。

 
さらにホトトギスの鳴き声が悲しい鳴き方と言う事もあって、悲しい話で語られることが多くなっており、そのため、閑古鳥もホトトギス説があります。

閑古鳥はカッコウ説が最も有力で、夕方に聞こえる悲しい鳴き声から、客がいない寂しい店舗を《閑古鳥が鳴く》と表現します。
 
 
続く

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2026/05/07
生き物を漢字で書く 13-2
ホトトギスは、初夏の時期に日本に移動し、その時期が田植えを始める時期であることから、田植えの時期を知らせる鳥と言う意味で「時鳥」や「早苗鳥」と言う漢字で表現されます。

同様に、夏の到来を知らせる鳥と言う意味で「時鳥」と言う漢字となった説も有力です。
 
 
ホトトギスであれば「不如帰」と言う漢字表記が最も有名で、これは漫画『キングダム』で描かれる時期に相当する、紀元前400~200年の「望帝伝説」に由来します。

蜀の国に杜宇と言う王がおり、領民に農業の発展を説き、治水を行ったことから、国が豊かになり、王は国民の支持を大いに受けました。しかし、部下の妻と不倫を行ったことが原因で、王は国を追放されました。

晩年になると、王は祖国に帰りたいと願うようになりましたが、その願いが叶うことがありませんでした。

そして、ホトトギスの鳴き声が「帰るに如かず」と中国語で聞こえることから、王が生まれ変わり、ホトトギスに身を変えて祖国に帰ってきたとされ、その伝説に因んで、ホトトギスの漢字が「不如帰」となりました。

同じく、上記の望帝伝説で、蜀の国を追われ、死んだ魂がホトトギスに生まれ変わり、祖国に帰ってきたことに由来して「蜀魂」と言う呼び方でもホトトギスは呼ばれます。
 
 
さらに、ホトトギスには「子規」と言う漢字名もあります。これはホトトギスの鳴き声などに由来する中国での呼び方です。

ホトトギスが昼だけではなく夜にも泣くことや、ホトトギスの鳴き声が激しいこと、そしてホトトギスの口の中が赤いことから、ホトトギスは中国の故事で「鳴いて血を吐くホトトギス」と表現されていました。

その上で、結核による吐血をした際に、闘病していく決意や、自らの死期を悟ったことなどから、明治時代の俳人であり歌人の正岡は、雅号に取り入れ、正岡子規と名乗りました。
 

続く 
 

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2026/05/01
生き物を漢字で書く 13-1
鳴かぬなら 殺してしまえ   ホトトギス  織田信長
鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス  豊臣秀吉
鳴かぬなら 鳴くまで待とう  ホトトギス  徳川家康


江戸時代に信長・秀吉・家康の性格などを表現するために創作された川柳には、ホトトギスが使用されています。江戸時代後期に出版された随筆の『甲子夜話』に収録されたのが初出で、ホトトギスは「鳴き声を聞くことが楽しみ」とされる鳥で、その鳥が鳴かなかった状況下で、かつての戦国武将が如何に対応したかを如実に表現したものです。

『甲子夜話』の後に出版された『耳袋』には、「鳴くぬならシリーズ」の追加分が記載されており、下記の3つが記載されています。

鳴かぬなら 鳴かぬのもよし  ホトトギス  里村紹巴(連歌師) 
鳴かぬなら 鳥屋にやれよ   ホトトギス  作者不明
鳴かぬなら 貰っておけよ   ホトトギス  作者不明


江戸時代以降の創作では、明智光秀のバージョンもあるようですが、創作時期は不明ですが戦後に創作されたようです。

鳴かぬなら 放してやろう   ホトトギス   明智光秀

ホトトギスはカッコウ科の鳥で、寒い時期は東南アジアやインドなどで越冬し、夏になると日本などにも移動してくる渡り鳥で、カッコウ科のため、他の鳥の巣に卵を産み、他の鳥に雛を育てさせる「托卵」をする鳥です。

ホトトギスとカッコウは、見た目や生態などが非常に似ている事から、同じ漢字で書かれ、郭公(カッコウ)であり、郭公(ホトトギス)とも書かれます。

続く
 

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