最 新 情 報
2025/11/27
壁面コンセント
コンセントの差し込み口の二つの穴の大きさに違いがあるのをご存じでしょうか。差し込み口の穴の長さに違いがあり、長い方と短い方があります。
差し込み口の長さが約9mmの、長い方は接地側で、アースと接続されているため、余分な電流を地面に逃がしているため、電圧はほぼ0Vとなるため、もし触れたとしても感電することはありません。
逆に差し込み口の長さが約7mmと、短い方は電圧側で、電気が供給されており、100Vが常時流れているため、短い方の差し込み口内部の金属部に触れると感電します。
接地側を設ける理由は安全面で、故障などが発生した際に高電圧が流れる場合に、設置されていると余分な電気を地面に逃がすことが出来るため、感電や漏電、または火災のリスクを大幅に低下させることが出来ます。
2025/11/26
イルミネーション
冬も本格化しつつある中、各地でイルミネーションのニュースが多くなってきました。イルミネーションの増加の理由は、光源がLEDに変わったことにあると考えられています。外郭がガラスの白熱球では破損の恐れがあった上、照明部からの発熱も大きく、色々と安全面で考慮すべき点が多かった半面、LEDであればそれらの危険性がほぼ無く、さらにLEDは寿命が長いため、数か月に及ぶイルミネーションの途中で、光源が切れてしまうことも非常に少なくなることも理由とされています。
さらにイルミネーションが冬に多い理由としては、冬は夏に比べ日没時間が早く、イルミネーションが点灯できる時間が長い事や、気温の低く、風の強い冬は水蒸気の滞留が少なく、空気が澄んでいるため、イルミネーションがきれいに見えます。
また、冬には街路樹の葉が落ちていることが多く、イルミネーションの装飾が容易で、さらに夏に比べ冬の方が気温が低いため、イルミネーションの光源から出る熱で街路樹が痛むことも少ないためです。
経済の面においても、寒く外出の低下する冬に、イルミネーションを行うことで、多くの人の外出を促す効果が期待できます。また冬イベントの王様、クリスマスのキャンドル文化がイルミネーションの普及につながったことも考えられます。
大阪でも色々とイルミネーションのイベントが開催されますが、大阪随一の大通りの御堂筋で開催される「大阪 光の饗宴2025」は圧巻です。
2025/11/25
歴史の話 3
色々と日本の歴史を学びなおす機会があった上で、約35年前に小学校で学んだ日本の歴史と、現在の小学校で教えられている歴史で、違いがあったので書いていきます。昔 My name is 〇〇
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今 I’m 〇〇
英語ではありますが、30年以上前の英語の授業では自己紹介の際には「My name is 〇〇」と学びましたが、今は「I’m 〇〇」と変わりました。
現在でも英語で「My name is 〇〇」は使用しますが、重要な会議などで畏まった表現を敢えてする際に使用される場合や、相手がそもそも自分の名前を知らない場合に自己紹介をするために使用する場合などでしか使用せず、
前者においては「お初にお目にかかります。私は〇〇でございます。」と言う意味合いになりますし、後者であれば「私の名前は〇〇と言います。」と言う意味合いになってしまい、
「〇〇です」と言ったカジュアルな場面では「I’m 〇〇」を使用するのが一般的です。
ちなみに歴史においても、海外の偉人の名前も変わっており「リンカーン」が「リンカン」に、「ルーズベルト」は「ローズベルト」にひっそりと変わっていました。」
2025/11/21
歴史の話 2
色々と日本の歴史を学びなおす機会があった上で、約35年前に小学校で学んだ日本の歴史と、現在の小学校で教えられている歴史で、違いがあったので書いていきます。昔 1192年 鎌倉幕府 開幕
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今 1185年 鎌倉幕府 開幕
かつて、「鳴くよ 鶯 平安京 (794年)」「嫌よ お願い アヘン戦争 (1840年)」と並び、覚えやすい歴史年表の語呂合わせの最強の一角「蒸しご飯 祝って食べよう 大化の改新」が645年から646年に変わって、語呂合わせが消滅した上に、さらに「良い国作ろう 鎌倉幕府」までもが学校教育から消え去っていました。
平清盛が病死した後、後白河天皇の息子の以仁王の命を受け、一気呵成して、勢いそのままに壇ノ浦で平家を滅ぼした源氏は、1180年に鎌倉を拠点とした軍部を設立し、1185年に武士や公家が所有していた土地に地頭と呼ばれる監査役を配置完了しました。
この時点で幕府の形成が完了していたとみなされるため、鎌倉幕府の完成は1185年とされるのが現在の一般になっています。
ちなみに昔の学校教育で、鎌倉幕府の成立が1192年とされていたのは、1192年に鎌倉幕府の初代将軍の源頼朝が征夷大将軍に任命された年だからです。
そういえば、本能寺の変の年表語呂合わせで「以後は 日本 変わる 本能寺 (1582年)」を記憶していましたが、最近の語呂合わせだと「いちごパンツ の 明智光秀 (1582年)」に変わっていたのに驚きました。
2025/11/20
歴史の話 1
色々と日本の歴史を学びなおす機会があった上で、約35年前に小学校で学んだ日本の歴史と、現在の小学校で教えられている歴史で、違いがあったので書いていきます。昔 大化の改新 (たいかのかいしん)
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今 乙巳の変 (いっしのへん)
645年に蘇我入鹿を中大兄皇子と中臣鎌足が暗殺した事件について、昔は大化の改新と教えられましたが、現在は乙巳の変と教えられており、入鹿暗殺の後に行われた政治改革を大化の改新として分けて教えられています。そのため、歴史年表においても、下記のように変更されています。
645年 乙巳の変
646年 大化の改新
ちなみに、奈良県の明日香村にある石舞台は、上記の蘇我入鹿の祖父にあたる蘇我馬子の墓とされており、乙巳の変の前には、石舞台の周りには盛り土が被せられており、日本での最大級の方墳(50m×50m)がありましたが、乙巳の変の後、政権の交代を世に知らしめるためや、天皇までも暗殺した蘇我一族への恨みなどから、盛り土が取り除かれ、石室が露出している状態になっています。
また乙巳の変の際に暗殺はされなかったものの、乙巳の変の際に自害した蘇我入鹿の父である蘇我蝦夷の墓は、明日香村の小山田古墳とされる説があるもの、小山田古墳は舒明天皇の墓であった説も有力視されており、現在の研究が続けられています。
さらに、戦争の古い表現に「〇〇の変」「△△の乱」「□□の役」とありますが、下の立場が勝って政変が完遂した場合が「変」で、上の立場が勝って政変が変わらなかった場合が「乱」、外国との戦いが「役」となります。
日本の歴史において「変」はいくつかありますが『乙巳の変:蘇我入鹿』『本能寺の変:織田信長』『桜田門外の変:井伊直弼』『禁門の変:長州藩』が有名。

